音から音楽へ--------。
ひとつひとつの音を突きつめることによって、音楽の根拠となる。

<私たちのめざす音楽とは>

私たちがめざしている音楽とは、絵に例えるなら「水墨画」です。
単色の墨に濃淡をつけ、時に大胆で、時に緻密な構図、何も描かないことで生まれる空間。それらの全てによって表される多彩な世界。

単色の墨が和太鼓の音であるなら、墨の濃淡は音の強弱。
奥行きや流れをを与える構図は、テンポの緩急。
何も描かないことで生まれる空間は、文字通り「間」。

そう考えた時、ひとつの太鼓が出せる音は1つではないことに気付き、ひいてはそれが「和太鼓」という楽器が持つ稀有な特性であり、最大の魅力であるという思いに至りました。

和太鼓は、ただ音が大きくて迫力があるだけの楽器ではない。
ひとつひとつの音にこだわり、強弱、緩急、間を駆使し、
世界中の人々と共感できる「和太鼓が奏でる多彩な音楽」を表現する。
それが、私たちのめざす音楽です。


<和太鼓とは>

日本を含め、ほぼ100%に近い人たちが、「和太鼓 = 日本の伝統芸能」という一括りの認識をお持ちと思いますが、そもそも「和太鼓」というのは日本の伝統的な「楽器の総称」のひとつであって、表現のジャンルを意味するものではありません。
音楽で例えるなら、クラシックやJAZZ、ロック、ポップスなどをひっくるめて「ギター」と呼んでいるに等しいと言えます。
ですから、同じ和太鼓という楽器を使用していても、やっていることやめざしている方向が必ずしも同じということではありません。

「太鼓を打つ」ことは「伝統芸能・郷土芸能」なのか「音楽」なのか「スポーツ」なのか「教育」なのか、あるいは「エクササイズ」なのか。
自分たちのやっていることをどう位置付けるかは人それぞれであり、正しいとか間違っているとかは無いと思いますが、それらを総称して「和太鼓」と呼ぶことにはかなり無理が生じてきていることだけは確かだと思います。
しかし、それに代わる名称があるわけでもなく…。創作和太鼓という言葉もありますが、今ではその定義すらうやむや(元々あったのかどうかは知りませんが)ですし、何か良い名前があるといいのでしょうが…。


田中太山 書
田中太山 書
梵音 Bon-non

現在、中澤政治(Tobby)と寺内そのえ(Tera)の2名で活動中。
「梵音」とは、仏教用語で「梵天が発する清らかな声」などを意味する言葉で、瀬戸内寂聴さんはこれを「この世の森羅万象の奏でる快いすべての音」と解釈しておられますが、少々おこがましいとは思いつつも、「真っ直ぐで濁りの無い音を打ちたい!」という想いを込めて名付けました。

その迫力、楽しさ、シンプルさ、奥深さに魅せられて、
ただただ「直向き(ひたむき)」に太鼓を打ち続ける!
その音が、一人でも多くの方の心に届いてくれるよう、
精進の日々です。(Tobby)

太鼓との出会いは聴覚障害の人たちの太鼓パフォーマンス。
音の無い人たちが感じる「音」の謎を知りたくて・・・。
「来た道をながめ、行く道を夢みて」
常に感謝の心を忘れずに、太鼓道を突き進みます!(Tera)


和太鼓蓮 うてな

2008年4月、それぞれで活動していた5名によって和太鼓蓮を結成。
2011年11月、そのメンバーだった中澤政治と寺内そのえが
「和太鼓蓮 うてな」として独立。

各種イベントやお祭りでの演奏に加え、ドイツ、ハワイ、中国など
海外でも多数出演。
毎年秋にはチャリティ演奏会を主催。
また、東京・神奈川を拠点に活動する和太鼓チームや学校での指導、
各種講習会や演奏会の開催、運営、楽曲の提供、などを行っています。


「うてな」という名前には、土台(基礎)がしっかりしていなければ、美しい花も咲かないし、
実もならない。何よりも基本が大切という思いが込められています
 (※ うてな=台)
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